フィギュアスケート宮原知子の曲ミスサイゴンと本田美奈子
フィギュアスケート宮原知子の曲ミスサイゴンといえば本田美奈子を思い出した。
昨日銀メダルに輝いた
フィギュアスケート宮原知子の選曲した曲はミュージカル「ミスサイゴン」
この曲「ミスサイゴン」で滑った銀メダル
本当におめでとう。
ヒロインのキムの「命をあげよう」や、際どい歌詞がインパクトあるこの曲だが
やはり、「ミスサイゴン」といえば
悲運のミュージカルスター本田美奈子を思い出さずにはいられない。
アイドル歌手でデビューし、「1986年のマリリン」などをヒットさせた本田美奈子
に転機が訪れたのが1990年だった。
アイドル歌手だった本田美奈子は本格派のミュージカルスターを目指していた。
ミュージカル『ミス・サイゴン』のヒロインのキム役のオーディションは1万5000人の中から
選ばれるというニュースがテレビを賑あわせた。
『ミス・サイゴン』は1年半のロングランとなりその本田美奈子は歌唱力、演技力を高く評価され『屋根の上のバイオリン弾き』、『王様と私』次々にヒット
デビュー15周年には『歌革命』と題した、自分のシングル曲や演歌の「天城越え」やオペラ「ある晴れた日に」などを歌った。
しかし、翌2005年 急性骨髄性白血病という不治の病が彼女を襲った。
同年11月6日午前4時38分、本田美奈子は38歳の若さでファンのみならず多くの人々から惜しまれ道半ばでこの世をさった。
アイドル歌手からスタートして洋楽に影響を受けたロックバンドそして
大きな転機となった『ミス・サイゴン』のヒロインのキム役としてのミュージカル女優
クラシックへやジャズへの傾倒と進出
本田美奈子歌に捧げた人生だった。
フィギュアスケート宮原知子の選曲した「ミスサイゴン」に関する思いを
綴ってみました。
宮原知子さんと「ミスサイゴン」どこかで本田美奈子さんが見守ってくれていることだと
思います。
目指せ金メダル。
最近のコメント